行動を起こすことで出会えた、
自分の力を活かす働き方。
「買い物」を通して、
人と地域に光をあてていく

ショッピングリハビリカンパニー株式会社、光プロジェクト株式会社 代表取締役

杉村 卓哉 さん

Profile
鳥取県米子市出身、本学2004年卒。卒業後、5年半の病院勤務を経て買い物という作業を通したリハビリ事業を構想し、起業。現在は島根県雲南市の商業施設「マルシェリーズ」内に拠点を開設し、ショッピングリハビリによる介護予防の実践とそのモデルを全国へ広めるコンサルティング事業を展開している。

現在のお仕事について教えてください。

「買い物を通して人を元気にしたい」という想いから起業し、今は経営者として2つの会社を経営しています。1つは、島根県雲南市の商業施設マルシェリーズ内に開設した「ひかりサロン」を拠点として、住民の方々に向けたさまざまな地域課題事業を実践する光プロジェクト株式会社です。高齢者の方々が買い物をしながらリハビリを行うショッピングリハビリ事業や健康に関わるイベント企画、フィットネス事業など、住民のみなさんの健やかな生活を支援する事業を幅広く実践しています。
もう1つはこうした事業モデルを全国に広めていく「ショッピングリハビリカンパニー株式会社」。ひかりサロンで全国各地の介護事業所や商業施設の方からの視察を受け入れているほか、私が現地に出向いてショッピングリハビリ専用カートや事業モデルの導入のアドバイスを行っています。現在は、全国の8つの事業所でショッピングリハビリプロジェクトがスタートしています。

学院を卒業後、作業療法士として病院で働くなかで、
「買い物」に注目されたきっかけはなんですか。

私は島リハで平岡先生という恩師と出会い、作業療法士は「作業」を通して機能の改善を行う専門職であるという教えを受けてきました。しかし当時就職した病院では実際のリハビリにおける理学療法士との区分があいまいで、アプローチにおいて作業療法士の専門性を活かしたリハビリをなかなか実践できないという状況がありました。「これまで学んできた、作業を通じたリハビリをしたい」という想いで病院の利用者さんとお話をさせていただく中で、「退院したら買い物がしたい」という声を聞いたことで自分の中の想いとアイデアがつながったような感覚があり、思いついたのがお店の中での買い物を通じてリハビリをする「ショッピングリハビリ」の構想でした。

その時から、起業を考えるようになったのですか。

いえ、当初は病院を辞めて事業を起こすということはまったく考えていませんでした。まずは病院内で「利用者さんを連れて買い物に行こう」という企画を提案しました。当然、今までに例のないことでしたので、周りのスタッフからは「事故をした時のリスクはどうするのか」といった前向きでない反応も多かったのですが、「生活に密接に関わる買い物という体験を通して、利用者さんはきっと元気になるはずだ」という強い想いから周囲を説得してなんとか1度、買い物企画を実施することができました。
いざ実践してみるとやはり仮説は当たっていて、今まであまり歩けなかったはずの方が買い物をすると目をキラキラさせて、なぜかスイスイと水を得た魚のように歩き、商品を選ぶ手もスムーズに動くんですね。その光景を目の当たりにしたときに「この事業をつくりたい!」という思いがぐっとわいてきて、「10回のリハビリよりも、1回のお買い物」というキャッチフレーズを思いついたんです。
ずっと病院の仕事の中で、私は自分の能力を活かせた働き方を見出せていませんでした。しかしこの瞬間、この買い物を通したリハビリを形にすることが自分に与えられた天命だと思えました。すぐさまリハビリ用のショッピングカートの改善案などのアイデアをまとめ、病院内でプロジェクトを立ち上げようという提案を行ったのですが、病院という施設で行う事業としては限界があると感じたので、そのアイデアを持って病院を退職し、自らカートの開発と事業を立ち上げる準備を始めました。

その実体験がきっかけになって、起業を決断されたんですね。

「起業して上手くいくか?」「失敗せず事業運営できるか?」といったことを考えだすと何もできなくなると思ったので、そうしたことを考える前に退職しました。しかし当時、アイデアとカートの構想、そしてリハビリの技術は持っているのですが、どうやって起業していいかが分からない。そこでさまざまな分野の方々に「こういうプロジェクトを起こしたいんです」と伝えていくうちに少しずつ協力してくださる方が現れて、病院を退職して1年後に専用の買い物カートを開発することができました。

事業を立ち上げる中で、どんなことに苦労されましたか。

これまでは医療という分野の中で仕事をしてきましたが、事業を始めるうえで今まで関わったことのない業種や職種の方々とお話をする機会が増え、初めのうちはビジネスの世界特有のコミュニケーションに苦労することが多かったです。
そしていざカートが完成すると、今度は「このカートを使って、どうやってお金を生むビジネスをつくればいいか?」という課題に直面しました。事業をつくるということは、お客様にサービスや商品を知ってもらい、使ってもらうことで価値を提供することでお金をいただくことです。どんなに良いアイデアと強い想いがあっても、それだけではビジネスにはならないんですね。最初はカートを商業施設や介護事業所に販売していたんですが、これだと1台売れても持続的な収入にはつながりません。どうすれば持続可能なビジネスモデルをつくることができるか、それを見出すまでに起業してから4~5年の時間を費やしました。

そこから、なにか転機となるきっかけがあったのですか。

カートの販売がなかなか思うようにいかず「事業をあきらめなければいけないのでは」と思いかけていたタイミングで、妻の実家である島根県雲南市に帰ろうという話が出たんです。そうして雲南市に一度訪れた際、市の商業施設であるマルシェリーズの2階のスペースががらっと空いていたのを目にしました。その瞬間、「ここで買い物を取り入れた介護予防のサービスを始めたい」というアイデアを思いつきました。ちょうどその頃、日本では「基準緩和型通所サービスA」という、要支援1、2とそれより前段階の方々を取り込んだ新たな介護予防型のデイサービスの形をつくろうとするものの、地域に波及していないという状況がありました。そこで「住民の方々にショッピングリハビリで効果的な介護予防サービスができ、独居高齢者の買い物難民対策と地域経済の活性化に繋がる地域課題の解決をはかるモデルをこの場所でつくりたい。そしてその雲南市でつくったモデルを全国に広げていきたい」と考えたのです。
そこからはさまざまな人の協力があってすぐにマルシェリーズの館長から市長・副市長にまでお話を持っていくことができ、マルシェリーズ内に拠点となる「ひかりサロン」を開設し、全国でも例を見ない自治体の介護予防事業としてのショッピングリハビリをスタートさせることができました。今ではたくさんのファンと仲間のご支援もあり、全国にこのサービスが普及することができる準備が出来ました。

起業される前と今では、どのような考え方の変化がありましたか。

まず、いかに今まで自分が守られた環境にいたかということを強く感じました。今の仕事のスタイルは最終的に頼れるのは自分だけであり、何をすればいいかという答えも自分で見出さなくてはならず、すべてがトライアンドエラーです。その中でさまざまな失敗を重ねながら精神的に強くなり、考え方や自分のやりたいことが明確になってきました。そうした中で、限られた時間でいかに高い成果を出すかということを強く意識するようになりましたね。しかし、一貫して「買い物という作業を通して人を元気にする、幸せにする」という想いは当初から変わっていません。

 療法士が起業をめざす上で、大切なことはなんですか。

 事業を起こすためには資金調達からマネジメントなどの経営力や人脈づくりなど、学校では学べないことを実体験として学んでいく必要があります。自分の力でお金を稼ぐ方法は、さまざまな失敗を重ねないと分からないものです。自分の中で想いやアイデアがあり、それを形にしたいと考えるときは、
療法士という肩書きにこだわらず、思い切って現在の環境から飛び出すことが大切です。実際に、私がそうでした。病院を退職したことで事業資金や人間関係、さまざまな問題に直面してきました。そうした課題に一つずつ向き合い、対処していくことで人間として成長することができ、成功への階段を一歩ずつ上っていくことができるのだと思います。

最後に、療法士を目指す方に向けてメッセージをお願いします。

「動けば変わる」。これは、私の座右の銘です。人生というものは、自分にとって楽な方を選んでいくとその環境の中で不満がつのり、面白くなくなっていくものです。そして、その環境からなかなか動けなくなってしまいます。療法士という仕事は、一つの武器。覚悟を決めて自分が「やりたい」と思った方向に動いていけば、物事はどんどん好転していくと私は考えています。

卒業生の活躍一覧へ